犬の人 第三話「検索屋」

 錆びついた海がうなりを上げていた。
 酸と腐肉の匂いが絡み付いて来る。
 赤銅色したヘドロにまみれた波が、もそもそと浜辺を蠕く。
 昔の人は、この彼方に未知の世界を夢見たという。
 今、この彼方にあるのはこの海のように錆びついた大陸にある、錆びついた人々の住む錆びついた街だけだ。
 それは、誰もが知っている。

 十分も歩いただろうか。向こうに目的の場所が見えた。
 真っ黒なトタンと、細い竹のようなものを編んだ幕と、強い風が吹けば簡単に割れてしまうような板で作られた仮説住宅がそこにあった。
 屋根からつき出た棒の先にうす汚れた布切れが、旗のように棚引いている。布切れには、ただ一文字。
 「氷」
 軒下に吊られた鈴が、ちんちりりんとすずやかな音を響かせている。
 トタン屋根の上に、手書きの看板。
 汚いペンキで、重ね塗りされた文字は「涼風屋」と読めた。
 ここが、"検索屋"の住処だ。

 アキに聞いた情報は、どれも決め手に欠けるものだった。少なくとも、エリートが気まぐれに出した希少本を探すためには、無いのと同じだ。
 「大掃討作戦」以来、本に関する情報はどんなものでも入手することが困難になった。
 もちろん、全て消されたわけではない。だが、今手に入る情報の多くは断片化していたり改竄されていて信用に値しない。探れば探る程矛盾や混乱を招くよう仕組まれた情報もある。
 それらを掻き集めて分類し、役に立つ情報だけを選別し抽出する作業が必要だ。しかしそれは、砂漠で胡麻粒を探すのに等しい。素人はもちろん、プロの本屋でも至難の技だ。
 だが、それを専門にする者がいる。
 "検索屋"もその一人だ。

 俺は、あばら屋の前に立った。
 中は、土間と座敷に分かれている。
 座敷は十畳程だろうか。畳と呼ぶのが恐れ多いような、擦り切れ黒ずんだ代物が敷かれている。土間の床には水気で歪んだパネルが敷かれ、ジュースやアイスが入ったの冷蔵庫と申し訳程度のキッチンと、使い込まれて足がたわんだパイプ椅子が並んでいる。
 無人だった。腐った風が、ビュウビュウと店を吹抜けて行くだけだった。
 「検索屋。」
 俺は呼んでみた。返事は無い。店に、一歩入いろうとする。と、微かに音が聞こえて来た。店の向こう側のようだ。
 俺は、店の向こう側に回り込んでみた。真っ先に、真っ赤に燃えるようなビーチパラソルが目に入った。
 検索屋は、その下でデッキチェアに寝転び、昼寝の最中だった。脇には御丁寧に、小さなテーブルが置かれ、その上のコップを満たすコーラは、氷が溶け切って温くなりつつあった。
 「検索屋!」
 俺は、もう一度呼んでみた。検索屋の体がびくっと動いた。もぞもぞとこっちを向く。
 「?!?!?!?!?!?」
 人影に気がついて、声にならない声を上げてデッキチェアからころげ落ちた。
 「俺だ。犬だよ。」
 俺は声をかけた。検索屋は、やっと気がつき、泣きそうな笑みを見せた。
 「なんだ、あんたか…。」
 「デッキチェアで日光浴とは、ずいぶん良い御身分だな。」
 「…いいだろ。別に。…あんたに関係ないだろ。」
 「関係あったら困るよ。」
 「だったら、放っておいてくれ。」
 「良い夢でも見てたのか?」
 「…ああ。良い夢見てたんだよ。」
 「そいつは羨ましいな。俺は最近夢見が悪くてね。」
 「…悪いことばかりしているからだ。天罰だ。」
 「おいおい。自分はどうなんだよ。健気な本屋から高い情報料ふんだくってるのは、どこの誰だ?」
 「なら、帰ればいいだろ。あんたがどんな夢見てたって、俺には関係ない。」
 「まあ、そう言うな。ちょっと調べて欲しいことがあるんだ。」
 「…やだよ。」
 「今日は、天然物持って来たんだがな。」
 検索屋の目付きが変わった。奴の頭の中で、ぐるぐると、なんだか不健康な計算が渦巻いているのが分かる。
 「…見せろよ。」
 「仕事が先だ。」
 「そう言って、まただます気だろ。」
 「人聞きが悪いな。いつ俺がだましたよ。」
 「半年前のあれは、合成物だった。おかげで、ひどい目にあった。」
 「あの時は、天然物とは言ってないだろ。あんたが勝手に勘違いしたんだ。」
 「だまされた。」
 「…そうか、じゃ、しょうがない。他の所に当たってみることにするよ。」
 「待て!!…なにも、やらないとは言ってないじゃないか。」
 「信じてくれないんだろ?」
 「そうじゃない。誠意を見せてくれと言ってるんだ。」
 「誠意?」
 「誠意だ。」
 「どんな誠意だ?」
 「誠意だ。」
 俺は、コートのポケットからブツを取り出し、包みを開けて見せる。
 検索屋の顔が崩れ出す。泣くような笑いを、たちまち油の汗が覆い尽くす。中毒症状が進んでいるらしい。
 「…く、くれ。」
 検索屋が手を出す。俺は、ブツをポケットにしまう。
 「今度は、あんたの誠意が見たいな。」
 「ひ、一口でいい。なあ、くれ。」
 「仕事の後だ。嫌なら、他に行く。やるのか?やらないのか?」
 検索屋の顔が悔しさに歪んだ。

 アイスの入ったクーラーボックスから伸びたケーブルは、座敷の隅に置かれた旧式のTVに繋がれている。そのブラウン管に、検索屋が出した検索結果が表示されている。
 アイスに混じって置かれているのが、検索屋自慢の人工電脳のデータベースだ。アイスの冷却と一石二鳥らしい。
 検索屋は、ブツを手に恍惚とした表情をしている。目は焦点を失い、口はだらしなく開き、その回りには赤黒いものがベタ付いている。
 都市から取り寄せた天然のこしあんだ。
 あんなもので飛べるんだから、特異体質ってのは羨ましい。
 もちろん、天然物と言ったって、甘味料を使ってないと言う程度で味はひどいものだと思うが、検索屋の顔を見ると、どうも、あの甘味がトリップの素ではないらしい。
 「…奥さんはどうした?」
 検索結果をメモしながら、俺は聞いた。
 「…しんだよ…とびこんだのさ…うみに…」
 検索屋は、へらへらと笑いながら言った。
 「…そうか。」

 俺が初めて検索屋に仕事を依頼したのは三年前のことだった。
 その頃奴は、妻と二人でこの店をーそして、検索稼業をー切盛りしていた。
 妻の名はナミと言った。小柄で、コロニーの外、しかも浜辺に住んでるとはとても思えない程、透き通るような白い肌をした女性であった。屈託の無い笑顔の持ち主で、奇特な観光客と俺達売人にいつも笑みを振りまいていた。彼女に憧れていた売人は多かったはずだ。
 だが、半年前に来た時、彼女の顔から笑顔が消えていた。細やかな対応は変わり無かったが、ふと見ると、ひたすら海を見つめていたりした。その顔は、虚無に曇っていた。
 なにがあったのかは知らない。いや、なにがあろうと関係ない。
 今、彼女がいないことだけが事実だ。
 俺は、検索結果のメモを終え、トリップ中の検索屋を置いて外へ出た。
 海は、相変わらず淀んでいた。
 あの日のナミのようだ。
 俺はタバコを一本くわえ、風を避けながら火を付け、歩きだそうとした。
 それは、息が抜けるような微かな音だった。
 俺は、伏せた。
 少し離れた松林から飛んで来たそれは、涼風屋の中で炸裂した。
 一瞬であばら屋は瓦解した。
 さらに、もう二発。
 アイスボックスが、座敷が、木端微塵に吹き飛んだ。
 俺は、砂にへばり付きながら、燃え上がる炎と煙の向こうの松林を見た。
 松林は沈黙している。こっちの動きを見ているのだろうか。俺は神経を集中させながら、ひたすら砂にへばり付いていた。

 どれ位そうしていただろうか。
 もう、すっかり日が傾いていた。
 俺は、ゆっくり立ち上がった。
 検索屋の姿は、一片も無かった。
 飛びながら吹き飛んだのだ。幸せだったと言っていいだろう。
 涼風屋は、消滅していた。
 スクラップで作ったようなあばら屋は、ただのスクラップに帰った。
 「塵は塵へ帰る…か。」
 辺りが闇に包まれ出すにつれ、急速に気温が下がってきた。
 俺は吸いかけだったタバコの砂を払ってくわえると、足早にその場を去った。

未完

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