今日は息子が夏祭りすずめ踊りに出るので仙台駅東口に見に行きました。 青葉祭りの時もそうでしたが、大変盛況で、なによりどのチームも勢いがあって、小雨が降ったり止んだりだったが楽しめました。 夜には引き続きうちの近所のお祭りにすずめ踊りとよさこいで出演。 相変わらず難しい顔をしながらの演舞でしたが、終わると楽しそうで、ある意味うらやましいですね。 近所のお祭りでは盆踊りが開かれており、それへの特別出演と言う形でした。 東京などからの流入者が多い地域の割には、それなりに踊りに参加している人がいて、案外でした。 地域差はあれ、仙台近辺では盆踊りはほとんど死滅していると思っていたので、それに比べるとはるかに参加者がいる状態に驚きましたが、それを妻に言うと、妻の郷里大阪では河内音頭が大変ポピュラーであり、今でも見てる人より踊っている人の方が多いのだそうです。 でも、その差を以って「仙台人は引っ込み思案だから駄目なんだ」と言ってしまえばそれまでだし、言ってしまったところで不毛な話。 すこし穿って考えてみたいと思います。 ●●● 仙台はプチ東京を目指してきた街です。 東京は、地方出身者によって築かれた街です。 そして、地方を否定することで己を比定してきた街です。 地方の否定は徳川時代に各藩同士の対立が起きないようにしたことの名残でしょうか。 仙台もまた、東北にありながら東北ではない、プチ東京でありながらプチ東京で無いという、他を否定することによってのみ自らを比定してきたように思います。 なにも仙台だけの話ではないですね。 東北そのものが西の国によって幾度と無く蹂躙され征服された歴史があります。 日本そのものも。 敗北の都度自らの文化は否定され、その否定によってのみ自らを比定するという状態。 古今東西、世界中で繰り返されてきた悲劇。 敗北の歴史による断絶と、車や通信手段の発達による生活圏の拡大に伴う地縁的なコミュニティの崩壊のダブルパンチが、仙台の盆踊りをして絶滅せしめたのでしょうか。 閑話休題。 どんな理由であれ、仙台周辺では盆踊りは一部の人間のものとなっているという見方は間違ってないと思います。 この流れを逆行させることはできないものでしょうか。 歴史の流れを鑑み、それぞれの祭りに命を吹き込む余地は無いものでしょうか? はっきり言って具体的な答えは思いつきません。 ただ理想論として言えるのは、その解決策とは「仙台の文化」を創造することだろうと思います。 そしてその先鋒となり得るのは「すずめ踊り」だろうと。 ●●● すずめ踊りは仙台の文化の一つとして新しく定着しつつあるのを青葉祭りや夏祭り仙台すずめ踊りを見て感じました。 それぞれのチームは基本的に地域によるコミュニティがほとんどですが、離れた地域の人が参加したいたりもするし、仙台と言いながら名取のチームが参加していたりもします。 これは地縁的なコミュニケーションを破壊した生活圏の拡大ゆえに可能になったことでもありますね。 すずめ踊りが仙台の文化と言えるかどうかは異論のある方も多いと思いますし、感覚的に納得いかない人も多いでしょう。 かく言う私自身、今だから「すずめ踊りは仙台の文化」とか言ってますが、数年前まではよさこい人気で参加者が増えただけのまがい物だと考えていました。 歴史的にすずめ踊りは長く断絶していたのだし、本来仙台のほんの一部地域の文化なのだからそれを仙台全体の文化として考えることには嫌悪感すら感じていました。 でも、では文化とはなんでしょう? 文化はどのようにして発生するのでしょう? それは、同時多発的に平等に発生するのではなく、大規模に総花的に発生するのではなく、ほんの一部の-もしかしたらたった1人の-人間を起点として起こるもの、起こりえるものなのではないでしょうか? そしてそれがどのような理由であれ定着し、それを行うことで文化を感じる人間が、それを文化として求める人間がいれば、それがすなわちその地の文化と言われるものになるのではないでしょうか? だとしたら、すずめ踊りも発端がどうあれ経緯がどうあれ、仙台の文化の一つとして語られるに値するものと、少なくともそうなる可能性があるとは言えると思います。 事実そうなっていると思いますし。 では、地域の盆踊りは? 地域運営の盆踊りの枠を壊し、盆踊りを盆踊りとして楽しむ地縁を超えたイベントとしてデザインしなおすことができるなら、地域の盆踊りはその生命力を復活させることができるのではないでしょうか。 それを考えるときに最大のポイントとなるのは、「なぜ踊るのか」と言う点だと思います。 夏に、祭りに、なぜ踊るのか。 わかっている人には説明はいらないことでしょう。 見る阿呆に踊る阿呆は理解できないと思います。 歴史的に言えば、盂蘭盆行事の一つですが、その根底は日本古来の死生観に根ざしている…などということは、今時人を盆踊りで踊り狂わせる原動力にはなりえません。たぶん。 歴史を踏まえつつ、踊る楽しさを極めた祭りをデザインすることができれば。 それも、地域横断的にデザインできれば、その盆踊りは、生命力を吹き込まれたものになるのではないでしょうか。 仙台なら、基本部分だけのエンドレスすずめ踊りでも良いような気もします。正直。 それこそ、中途半端によさこいを輸入したり、ダンス大会をしたりするより、良いと思います。 息子の踊りを見ながら、そんなことを考えておりました。 2006/7/30 |
